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東京地方裁判所 昭和34年(ヨ)2158号 判決

申請人 高橋博

被申請人 株式会社 作佐部工業所

主文

申請人の本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は「被申請人が昭和三四年二月二八日申請人に対してした解雇の意思表示の効力を停止する。被申請人は申請人に対し昭和三四年三月以降毎月末日を期日として金二九、三四八円の割合による金員(但し、昭和三四年三月末日を期日とする分についてはこの金額の二八分の二六に相当する金員)を支払え。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は主文同旨の裁判を求めた。

第二申請の理由

一  申請人は、家庭燃料用容器等の製造販売及びこれに附帯する事業を営む被申請人に昭和二九年八月以来雇傭されていたところ、昭和三四年二月二八日被申請人から懲戒解雇の意思表示を受けた。

二  しかしながら右懲戒解雇の意思表示は次の理由により無効である。

(一)  協議約款違反

被申請人とその従業員の組織する総評全国金属労働組合東京地方本部作佐部工業所支部(以下「組合」という。)との間に昭和三二年二月二六日締結された協定によれば、被申請人は組合に加入する従業員の解雇については組合と協議すべき旨定められているにもかかわらず、組合に所属していた申請人の懲戒解雇に関してはこの協議が行われなかつた。

(二)  就業規則違反

(1) 被申請人の従業員に対する懲戒は、各職場責任者、従業員代表者及び常勤役員をもつて構成する審査委員会の議を経て行い、当該従業員には右委員会において弁明の機会が与えられるべきことが被申請人の就業規則第六二条第二項及び第三項並びに第五八条第二項で規定されている。ところが申請人に対する懲戒解雇は右のような手続を経ないでなされた。

(2) 被申請人の就業規則第六四条の規定するところによると、従業員が同条の第一号ないし第一六号に掲げる懲戒解雇の事由の一に該当する場合においても、情状により譴責、減給、格下げ及び昇格停止のいずれかによつて懲戒をするにとどめることができることになつている。被申請人により申請人に対する懲戒の事由とされたのは、被申請人の生産課長新家弘夫に対する申請人の殴打行為に外ならないのであるが、その行為は、後に第四において詳述するとおり、極めて軽微なものであるのみならず、申請人と新家弘夫との間に即日示談が成立しているのであるから、申請人に対して右行為を理由として懲戒が行われるべきであつたとしても、情状酌量により解雇以外の方法を選ぶべきであつたのに、被申請人はあえて申請人に対し最も重い懲戒手段を選び解雇の意思表示をしたのである。

(三)  不当労働行為

被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示は、その組合活動の故に嫌悪していた申請人を企業外へ排除することを目的としてなされたものであるから、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為である。その論拠は次のとおりである。

1 申請人の組合経歴

申請人は、昭和二九年一二月組合結成と同時にこれに加入し、かつ、その厚生部長に選任され、翌三〇年四月から昭和三三年四月までその委員長の職にあつた。

2 申請人の行つた組合活動

申請人は、組合の委員長当時は勿論、その職を退いた後においても、被申請人から懲戒解雇の意思表示を受ける当時まで引き続き組合員として種々の組合活動を積極的に行つて来たのであるが、主な事例をあげると次のとおりである。

(1) 従来被申請人の従業員に対して有給休暇の場合に賃金が七五パーセント分しか支給されなかつたのであるが、申請人が被申請人と交渉した結果昭和三二年九月頃からは一〇〇パーセントの賃金が支給されるようになつた。

(2) 昭和三三年九月頃組合員杉浦某が退職したにつき、被申請人より、かつて貸付金名義で支給されたけれども返還の要のないことになつていた闘争解決資金の返済を請求されたことがあつたので、申請人は、組合の幹部と協力して被申請人にその不当を抗議し、その請求を撤回させた。

(3) 昭和三三年一二月中被申請人より従業員に対し、休日に出勤できない場合にその理由書の提出が命ぜられたのについて、申請人は、休日出勤の強制になるとして被申請人に抗議した結果、右命令は撤回された。

(4) 昭和三三年一二月末頃当時病気欠勤中であつた組合員大窪某に対する見舞金の支給を被申請人に要求してこれを実行させた。

(5) かねがね被申請人に労務管理の欠陥のみならず、労働基準法その他の取締法規に違反する行為があつたについて、随時被申請人に警告すると共にその改善を要求したけれども、被申請人に反省のあとがなかつたところよりやむなく労働基準監督署その他の関係官庁に取締方を具申したことがある。このような申請人の行動の対象となつた事項は、左のとおりである。

(イ) 被申請人の従業員は労働条件の劣悪なため異動が甚だしく、昭和三四年二月末当時においては、勤続一年未満の者が六〇パーセント、臨時雇傭の者が七〇パーセントを占めていたという具合に、全従業員の大半が常に作業経験の浅いものであるのに加えて、設備不良や労働強化のために災害事故が頻発(例えば昭和三四年一、二月中には七件)する状態であつた。

(ロ) 被申請人は、その従業員に対し、連日のように長時間の残業を半強制的に課していたのであつて、試みに昭和三三年末から翌三四年二月末までの間の従業員一人一ケ月当りの残業時間数を挙げると、一〇〇時間ないし一二〇時間にも及び、その頃年少者や女子の従業員に時間外又は深夜労働をさせるのも日常のことであつたし、その他一日の労働時間が一〇時間ないし一三時間に達するのに昼食時に四五分間の休憩を与えるにすぎなかつた。

(ハ) 被申請人は、従業員に時間外労働を命じておきながら自らの都合で作業を中止した場合に所定の手当を支給しないことが昭和三三年一二月中に度々あつた。

(ニ) 被申請人がその加入にかかる労働者災害補償保険に関する保険料の納入を怠つていたため、昭和三三年九月災害を蒙つた従業員宇井義雄に対する保険給付が半額に制限されたことがあつた。

(ホ) 被申請人は、昭和三二年九月頃から病気欠勤中であつた、一五年間もの勤続者の大窪某に対し、同年一二月二九日、一片の就業規則改正を根拠に退職を勧告したことがある外、同人が組合の会計担当者になつて組合活動に参加するようになると、同人を冷遇するようになつた。

(ヘ) 被申請人の従業員用の食堂、浴場、洗面所その他の施設は極めて不備で、特に化学薬品の使用についての保健衛生設備が充分でなかつたため、これによる事故が続発した(例えば昭和三三年八月中における硫酸ビン破裂及び昭和三四年二月二八日における工場の火災)ことがある。

(ト) 被申請人は、昭和三三年六月頃から昭和三四年二月頃までの間において、高圧ガス取締法及び同法施行規則の規定するところに違反して適正な検査を経ていないプロパンガス容器の製品をしばしば出荷したことがある。

(6) その他にも、組合の委員長退任後後任の荒井文雄と同じ職場にいた関係から、常に組合執行部より組合の活動方針につき相談を受けて意見を述べると共に、積極的にこれに協力し、昼食時間などを利用して組織の拡大強化のための教宣活動に従事した。

3 申請人の組合活動に対する被申請人の態度及び申請人の懲戒解雇に関する決定的理由

被申請人は、上述のような申請人の組合活動をかねてから嫌悪しており、昭和三四年三月一七日申請人に対する懲戒解雇の撤回を要求する組合との団体交渉の席上で、前出2の(5)においてのべたような申請人の労働基準監督署等への働きかけを強く非難すると共にそのことを組合の要求に応じられない理由として主張したことさえある。このような事情の外、後段で明らかにするとおり、被申請人の掲げる申請人に対する懲戒解雇の理由が納得に値するものでないことを綜合すれば、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をした決定的な理由は申請人の組合活動にあつたものというべく、従つて右懲戒解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為にあたることが明白である。

三  以上のいずれの理由によるにせよ申請人が昭和三四年二月二八日被申請人から受けた懲戒解雇の意思表示は無効であるから申請人は、依然として被申請人に対し雇傭契約に基く賃金請求権その他の権利を有する地位にある。ところで前記懲戒解雇の意思表示のなされた当時、申請人に対する賃金としては、前月の二六日から当月の二五日までの間の実労働日数に日給額を乗じたものと家族手当その他の諸手当とが被申請人より月の末日に支払われることになつていたのであるが、右懲戒解雇の意思表示の日以前の三ケ月間における申請人の賃金の一ケ月分平均額は月間の実労働日を二五日平均とみて計算すると金二九、三四八円となる。

四  申請人は、被申請人に対し雇傭関係存在確認等の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、被申請人から被解雇者として取り扱われることによつて生活の唯一の資である賃金の支払を受けることができないのみならず、被申請人の厚生施設を利用すること及び健康保険の被保険者として保険給付を受けることはもとより職場内において組合活動をすることもすべてできない状態にあるので、本案判決の確定をまつていては回復し難い損害を蒙るおそれがある。

第三答弁

一  申請の理由の第一項の事実は認める。

申請の理由の第二項の(一)の事実中、被申請人と組合との間に申請人主張のような協定があることは認めるが、その余の事実は争う。同上(二)の事実中、被申請人の就業規則に申請人主張のとおりの各規定があること及び被申請人が申請人に対し懲戒解雇の意思表示をするについて就業規則所定の審査委員会の議を経ず、従つて同委員会で申請人が弁明する機会もなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。同上(三)の1の事実は認める。同上(三)の2の(1)の事実中、昭和三二年九月頃から被申請人が従業員の有給休暇の場合における支給率を申請人主張のように改めたことは認めるが、組合との団体交渉の結果に基くものである。従つて特に申請人の活動に負うものではない。(2)の事実は争う。被申請人は、当時杉浦某に支給する退職金の中から控除することによつて、同人に貸付中の闘争解決資金の返済を受けたのである。(3)の事実は認める。しかしながら被申請人において休日出勤のできない従業員にその事由を届け出させたことはあつたが、それは、当日誰が出勤しないかを確めて作業の段取りをつける必要があつたからに外ならない。(4)の事実中、被申請人が組合員大窪某に見舞金を支給したことは認めるが、その支給が申請人の要求に応じてなされたことは否認する。右見舞金の支給については、昭和三四年三月二〇日頃組合の執行委員長荒井文雄より相談がもちかけられ、被申請人においてこれに賛成したというのが、その支給に関する経緯である。(5)の事実はすべて争う。ただ被申請人の従業員用の食堂、浴場、洗面所が完全なものでなかつたことは認めるが、そのことを被申請人の労務管理の欠陥又は法規違反として非難するにはあたらない程度のものにすぎなかつた。(6)の事実は知らない。同上(三)の3の事実は否認する。

申請の理由の第三項の事実中、被申請人から申請人に対して支給されていた賃金の計算方法及び支払期日並びに申請人主張の三ケ月間における申請人の賃金の一ケ月平均額が金二九、三四八円となることは認める。

申請の理由の第四項については仮処分の必要性が存在することを争う。

二  被申請人が申請人を懲戒解雇したのは、次のような理由によるものである。

(一)  昭和三四年二月二四日午前九時三〇分頃のことであつたが、当時被申請人の作業部門中生産課の製品仕上班の班長であつた申請人が第二工場の作業場において同班の副班長田谷健治(当時は阿部姓)と作業上の問題について論じ合つているところへ生産課長の新家弘夫が来て右両名の話に加わり、同課長と申請人との間において製品仕上班長の地位及び責任、同班に配属される新規採用の臨時工の処置などについて意見がたたかわされているうちに、申請人は、激昂の余り同課長に暴言を浴びせた上突然手拳で同課長の右頬部を三回にわたつて殴打し(更にもう一回殴りかけようとしたが、かわされたため、制止しようとした製品仕上班員の荒井文雄の頭部にあたつた。)、同課長に全治約三日間の口腔裂傷を負わせた。

(二)  右のような申請人の行為は、被申請人の就業規則第六四条第三号に掲げる「他人に対し暴行脅迫を加え又はその業務を妨げたとき」という懲戒解雇事由に該当するものであり、特に申請人が班長という職制上の地位にありながら、就業時間中多数の従業員の面前で直属の上司である生産課長の新家弘夫に対して、仕事上の意見の対立から暴力をふるい、その結果傷害を与えたるとは、被申請人としてとうてい看過することのできない重大な問題であつたのである。

加えるに申請人には平素から粗暴な言動が多かつたため、申請人に対して畏怖の念を抱く従業員も少くなく、上司でさえも申請人を指揮監督するのをはばかる風があつて、職場の規律保持にとつて大きな障害になつていた。申請人の粗暴な言動の実例としては、以下のようなものが挙げられる。

(1) 昭和三二年四月頃東京都品川区大井町のトリスバーで新家課長及び同僚の柳沼新吾と一緒に飲食中、些細なことから他の客二人と喧嘩を始め、店内で頭をぶつけ合つた後その客を外へ連れ出して殴打し、小刀様のもので威嚇したことがあつた。

(2) 昭和三一年秋の従業員慰安旅行の際に箱根湯本のそば屋で客と争い、着物をつかんで外へ突き出したことがあつた。

(3) 昭和三三年頃同僚の島田某と職場において激しく口論したことがあつたが、そのときは、たまたま通りかかつた工場長の赤松洋と新家課長の仲裁により事なきを得た。

(4) いずれも昭和三三年頃のことであるが、職場内で新家課長に対し、「おれがやめるときはお前の足の一本や二本は折つてやるぞ」とか、前の勤め先を辞めた経緯について「上司をひつぱたいて辞めて出て来たのだ」とか、ハンマーを手にしながら「お前と赤松をハンマーで殴つてやる」とかいつて、同人を脅したことがあつた。

(5) その頃従業員の休憩所において赤松工場長のことを「赤松の奴が」とか「赤松の野郎が」とかいう粗暴な言辞で誹謗したことがあつた。

更に新家課長に対する暴行傷害事件のあつた後においてさえも、

(6) 申請人は、(イ)昭和三四年二月二五日職場内で「もしおれを処罰すれば赤松と新家をハンマーで殴つてやる」と放言したり(ロ)同月二六、七日頃新家課長に対し「赤松をハンマーで殴つてやるから、そのときは部下のお前も気をつけろ」というような暴言をはいたりして、少しも悔い改める様子がなかつたばかりか、

(7) その頃従業員の一人から、申請人が被申請人の申請人に対する処置如何によつてはたゞではおかない旨揚言して組合の幹部にたしなめられたこともあるからとして、危険予防のため私服警官の派遣要請を考えて欲しい旨の要望が赤松工場長に対してなされる有様であつた。

(三)  叙上のような一切の事情を斟酌考量して、被申請人は、申請人を懲戒解雇すべきであるとの結論に達し、申請人にその意思表示をしたのである。

三  被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示を無効であるという申請人の主張に対しては、次のとおり反論する。

(一)  被申請人は、申請人の新家課長に対する前記殴打事件が発生した昭和三四年二月二四日及びその後同月二六、七日頃の二回にわたり組合の委員長荒井文雄に対し、右事件に関する申請人の処分につき組合の意見を求めたけれども、その都度組合として意見を述べる必要のない案件であるとの回答であつたのみならず、更に同月二八日申請人に対しいよいよ懲戒解雇の意思表示をする前に組合の執行委員全員にその旨を伝えて重ねて組合の意見を求めたが、組合からは何らの応答がなかつたのである。従つて申請人主張の協議約款に定められた被申請人の義務は尽されたものというべく、その不履行を前提として、被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示の無効を云々する申請人の主張は理由がない。

(二)(1)  被申請人がその従業員を懲戒する場合には審査委員会の議を経べく、かつ、同委員会において当該従業員に弁明の機会が与えられるべきことを定めた被申請人の就業規則第六二条第二項及び第三項の規定は、審査委員会の構成を定めた同就業規則第五八条第二項の規定と共に、昭和三二年四月一一日所轄の大森労働基準監督署へ届出にかかる新しい就業規則において始めて取り入れられたものであるが、その後同年八月頃に同監督署より、右新就業規則中、休日および時間外における労働に関する第一四条の規定内容の変更と賃金規程の添付について指示がなされたことに伴う整備のために手間取つたことなどもあつて、申請人に対する懲戒解雇問題が起つた当時には、審査委員会は未設置で申請人の懲戒解雇につきその議を経る暇がなかつたのである。しかしながらそのような手続上の瑕疵にもかかわらず被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示の効力に消長のないことは、多言の要のないところである。

(2)  申請人の新家課長に対する暴行傷害行為は、申請人の主張するように決して軽微なものではないのみならず、申請人を懲戒するにあたり被申請人は、すでにのべたとおり、あらゆる情状を検討の上解雇の外ないものと判断したのであつて、被申請人が申請人に対する懲戒の方法として解雇を選んだことをもつて情状の酌量を怠り苛酷に失するものであるとの理由を構えて、被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示の効力を否定しようとする申請人の主張は失当である。なお、申請人は、新家課長と申請人との間に前記暴行傷害事件に関し即日示談が成立したことを、申請人の懲戒につき特に酌量されるべき情状として指摘しているが、申請人の主張するような示談のまとまつたことは、被申請人が経営上の立場から申請人に対して懲戒のためどのような手段をもつて臨むかということには本来無関係な事柄であるばかりでなく、新家課長が申請人と示談したのも、後難をおそれたためであることからいつて、前記のごとき示談の事実は、申請人の懲戒責任をいささかも軽減するものではない。

(三)  被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をしたのは、もつぱら申請人の新家課長に対する暴行傷害を理由としたものであつて、申請人の組合活動とは全く何の関係もない。被申請人は、かつて組合の運営を支配し又はこれに介入したようなこともなく、もともとそのような必要もなかつたのである。被申請人が申請人をその組合活動の故に嫌悪していたと、申請人の主張するのは、全然根拠のないところであり、却つて被申請人は昭和三二年一月に申請人を班長に抜擢したほどである。従つて被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をしたことが不当労働行為にあたるという申請人の主張は見当違いも甚だしい。

第四懲戒解雇の理由に関する被申請人の主張に対する申請人の反駁

被申請人の主張する申請人と新家課長との間に昭和三四年二月二四日発生した暴行傷害事件なるものの真相は、次のとおりである。

申請人が当日午前一〇時頃第二工場において製品仕上班の副班長田谷健治(当時は阿部姓)と、申請人のかねての持論である、製品仕上班の刻印打刻作業及び塗装作業の両部門を分離の上別々の班として独立させるべしという問題について話し合つていたところへ、新家課長が通りかかつてその話に加わつた。そこで申請人は同課長に右のような班割りに関する自らの意見を説明すると共に、塗装作業部門において連日のように五時間ないし八時間も残業が続き、正午から夜中まで休憩時間も与えられていないことについて改善を要求したところ、逆に同課長から、製品仕上班の内部における作業条件に不備がある場合にその是正を図ることこそ班長である申請人の責任であるから、生産課長に右のようなことを要求するのは筋違いであるのみならず、副班長に連絡事項を連絡しなかつたり、作業上の注意を与えなかつたりするのは班長として怠慢ではないかとなじられた。同課長には従来からもこのように自らの責任を回避して申請人にそれを転嫁するごとき傾向があり、かねてこれを快く思つていなかつた申請人は、同課長の右返答に憤慨興奮してつめよろうとしたところ、同課長より、事務所で話をつけようといつて、仲裁に入つた田谷健治及び荒井文雄らを押しのけて手を引つ張られたので、それを振りほどいて同課長の顔面を二回ほど殴打したのである。同課長はなおも申請人の手をとつて事務所に連行しようとしたが、右両人に制止された。

叙上のような情況であるからには、申請人が新家課長を殴打したものであるとはいえ、極めて軽微なもめごとであつたというべきであるのみならず、申請人は、同日午後六時頃から八時頃まで赤松工場長及び新家生産課長と右事件について懇談し、更に午後一一時頃申請人宅を訪れた新家課長と翌二五日午前二時頃までにわたつて話し合つた結果了解がついて、円満な解決に達したのである。

第五疎明〈省略〉

理由

一  申請人が家庭燃料用容器等の製造販売及びこれに附帯する事業を営む被申請人に昭和二九年八月以来雇傭されていたところ、昭和三四年二月二八日被申請人から懲戒解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争いがない。

二  申請人は右懲戒解雇の意思表示が無効であると主張するので、以下その理由とするところについて順次検討する。

(一)  被申請人と申請人の加入する組合との間に昭和三二年二月二六日締結された協定に、被申請人が組合員たる従業員を解雇するについては組合と協議する旨の条項があることは、当事者間に争いがない。そこで被申請人が申請人に対する懲戒解雇の意思表示をするにつき右協定に定められた協議の手続を経たかどうかを調べてみるに、証人赤松洋及び同荒井文雄の各証言(但し後者の証言中左記採用しない部分を除く。)によると、被申請人が申請人に対する懲戒解雇の理由として取り上げた申請人の新家弘夫に対する殴打事件(その詳細については後に説明する。)が昭和三四年二月二四日に発生するや、被申請人の工場長で、社長を補佐し生産関係の業務に関する指揮監督及び人事その他庶務一般を担当する赤松洋において、即日及びその二、三日後の両度にわたり組合の委員長荒井文雄に対し、被申請人としては右事件をひき起した申請人について然るべき措置をとらなければならないものと考えているとして組合の意見を質したけれども、組合として意見をのべる限りでないとの返答であつたこと、続いて同月二八日被申請人より申請人に対する懲戒解雇の意思表示をするに先立つて赤松工場長が荒井委員長その他組合の執行委員全員を集めて申請人に対して科そうとする懲戒の内容を発表の上、これに対する組合の意見を求めたが、組合側の出席者は終始沈黙を守つて全然発言をしなかつたことが認められる。右認定に反する証人荒井文雄の証言は採用できない。右のような経過にかえりみれば、被申請人は、申請人に対し懲戒解雇の意思表示をするについて、前記協定に基く協議を遂げるため組合に対しとるべき処置を尽したのにかかわらず、組合において意見の表明を最後まで拒否したため、所期の目的を達するに至らなかつたものというべく、このような場合においては、前記協定に基く被申請人の組合との協議義務は、申請人に対する懲戒解雇に関して完全に果されたものと解すべきである。

(二)  被申請人の就業規則中第六二条第二項及び第三項並びに第五八条第二項の規定するところにより、被申請人の従業員に対する懲戒は、各職場責任者、従業員代表者及び常勤役員をもつて構成する審査委員会の議を経て行い、当該従業員に対しては右委員会において弁明の機会が与えられることになつているところ、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をするにあたり右のような手続を履まなかつたことは、当事者間に争いがない。

一般に使用者の労働者に対する懲戒解雇の意思表示が就業規則に定められた手続に違反してなされた場合においても、当該就業規則の規定からして、そのような違式の懲戒解雇の意思表示を無効とする趣旨が看取できない限り、右のごとき手続上の瑕疵のある懲戒解雇の意思表示といえども、その効力を否定されるべきものではないといわなければならない。これを本件についてみるに、成立に争いのない甲第二号証によつて知り得られる被申請人の就業規則の全規定を通覧して、被申請人がその従業員を懲戒するについて上述のような所定の手続を経ることがその有効要件とされている趣旨に解される節は全然見出されない。してみると前示審査委員会は精々被申請人の従業員の懲戒についての諮問機関にすぎないものであつて、被申請人があらかじめ審査委員会の議を経ることなく、従つて申請人に右委員会における弁明の機会を与えることのないまま申請人に対して懲戒解雇の意思表示をしたのは、被申請人の就業規則所定の手続に違反するものではあるけれども、そのために右懲戒解雇の意思表示を無効であると解すべき限りではないといわざるを得ない。

(三)  被申請人の就業規則第六四条の規定するところによると、その従業員が第一号ないし第一六号に掲げる懲戒解雇の事由の一に該当するときでも、情状により譴責、減給、格下げ及び昇格停止のいずれかによつて懲戒をするにとどめることができることになつていることは、当事者間に争いがないところ、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をした理由が申請人に前示就業規則第六四条第三号にいわゆる「他人に対し暴行脅迫を加え又はその業務を妨げたとき」というに該当する、被申請人の生産課長新家弘夫に対する申請人の暴行傷害行為があつたという点に求められたことは、被申請人の自陳するところである。

ところで証人荒井文雄、同田谷健治及び同新家弘夫の各証言並びに申請本人尋問の結果(但し、これら疎明中後記採用しない部分を除く。)と証人新家弘夫の証言に照して真正に成立したものと認める乙第一号証とを綜合すると、被申請人の作業部門の中で生産課に属し、製品に対する刻印と塗装の仕事を担任している製品仕上班においては、刻印作業を担当していた申請人が班長、塗装作業に関する責任者の田谷(当時は阿部姓)健治が副班長であつたが、昭和三四年二月二四日午前九時半頃被申請人の第二工場において、申請人が田谷健治に対して、製品仕上班内部の刻印部門と塗装部門とを別別の班に独立分離した方がよいというかねての持論を持ち出すと共に、塗装部門に新規採用された工員を班長の申請人に紹介しないのはどういう訳かというような話をしていたところへ、生産課長の新家弘夫が来合わせてその話に加わり、申請人と同課長との間で議論が交わされているうちに、申請人は、その意見に反対する同課長の言辞に興奮した余り、突然手拳で同課長の右頬部を三回にわたり殴打し、なおも殴り続けようとするのを居合わせた田谷健治、荒井文雄らがようやく取り鎮めたが、申請人の暴行の結果同課長に全治までに三日間の加療を要する口腔裂傷を負わせたことが認められ、右認定に反する証人荒井文雄の証言及び申請人本人尋問の結果は採用できない。更に弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第二号証並びに証人新家弘夫及び同赤松洋の各証言を綜合すると、申請人が上述のような新家課長に対する暴行傷害後においても、この判決の事実摘示欄第三の二の(二)中(6)及び(7)に記載されているような行為に及んだり、事態を招来したりしたところから、被申請人は、新家課長に対して前示のとおりの所為があつたにもかかわらず申請人には全く改悛の情がみられないのみならず、従来においてもとかくその言動が粗暴に流れ、上司でさえも一目を置いていたというような申請人の前記殴打事件前後における諸般の事情をも斟酌の上、申請人に対しては解雇という懲戒をもつて臨むべきであるとの結論に達したのであるが、本人の将来のためを慮つて任意退職を勧告したものの、結局申請人において応じなかつたので、やむなく既述のとおり懲戒解雇の意思表示をするに至つたことが認められる(被申請人は、申請人に対する懲戒の方法として解雇を選ぶについては、この判決の事実摘示欄第三の二の(二)中(1)ないし(5)に掲げるような申請人の言動を情状として考慮した旨主張するけれども、かかる言動の存否に言及するまでもなく、被申請人が当時そのように情状として斟酌するため申請人の過去の行跡を逐一こまかに検討したことを認めるに足りる疎明は見当らない。)。

叙上認定したところによると、被申請人が申請人を就業規則第六四条第三号所定の事由に基いて懲戒解雇すべきものとしてその意思表示をしたのは、まことに相当の処置であるというべく、殊に申請人の主張するごとく情状の酌量に欠けるかどはなかつたものと解するのが相当である。なお、申請人は、新家課長に対する暴行傷害についてその日のうちに同課長と話し合つて円満に解決することに示談が成立したのであるから、その事実が申請人にとつて特に有利な情状として顧慮されるべきであり、そのことを考え合わせると、被申請人が申請人に対する懲戒のため解雇の方法を選んだのは重きに失する旨主張する。申請人本人尋問の結果によると、右暴行傷害事件の発生した日の夜申請人宅において、申請人から新家課長に対して当日の行為につき遺憾の意を表したところ、同課長もこれを諒としたことが認められる(この認定に牴触する証人新家弘夫の証言は採用しない。)けれども、証人新家弘夫の証言によると、当夜は新家課長の方から申請人宅に同人を訪問したのであつて、その目的は、前記のような暴行傷害の加害者であるとはいえ、平素とかく粗暴な言動の多い申請人であるだけに、これをなだめて置いた方が無難であるとの配慮に出たものであり、しかも前述のとおり当夜新家課長の来訪を受けるまでの間に、申請人から進んで同課長に謝罪をしたようなことは絶えてなかつたことが認められるし、先に認定したような、即ちこの判決の事実摘示欄第三の二の(二)中(6)及び(7)にのべられているような、事後における申請人の不穏当な言動にも照らすときは、申請人が新家課長に対する自らの行為に関し本心から反省悔悟したものとみることには多大の疑念なしとしないのみならず、申請人と新家課長との両者の間で示談がなされたということ自体は、被申請人が申請人の当該行為に対して企業経営の秩序維持という観点から懲戒権を発動するに値するかどうかの評価を下すについて申請人の主張するほどに決定的な重みを置かなければならないものということができないことも明らかであると共に、上述のような申請人と新家課長との間で話合いがまとまつたいきさつをどのように勘案しようとも、被申請人が申請人に対し前示行為を理由とする懲戒のため解雇の方法をとつたことをもつて苛酷にすぎたものと断じ得ないことは、多言の必要をみないところである。

(四)  最後に被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示が労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当するかどうかについて判断する。

1  申請人が昭和二九年一二月組合の結成と同時にこれに加入し、かつその厚生部長に選任され、翌三〇年四月から三三年四月までその委員長の職にあつたことは、当事者間に争いがない。

2  申請人が被申請人から懲戒解雇の意思表示を受ける当時までに行つた組合活動としては、左のようなものが認められる。

(1) 被申請人の従業員が有給休暇をとつた場合に、昭和三三年九月頃以前においては七五パーセント分の賃金しか支給されていなかつたのが、以後一〇〇パーセントの賃金を支給されるようになつたことは、当事者間に争いがない。さて右のような有給休暇中の支給賃金の増額が被申請人と組合との団体交渉に基くものであることは、被申請人の自認するところであり、証人荒井文雄の証言及び申請人本人尋問の結果によると、申請人は、組合の委員長として被申請人との上記のような交渉の衝にあたつたことが認められる。

(2) 被申請人の従業員で組合に加入していた杉浦某が昭和三三年九月頃退職したにつき、被申請人がかつて貸付金名義で支給した闘争解決資金の返還を請求したことがあつたことは、被申請人の明らかに争わないところであり、成立に争いのない甲第一号証と証人荒井文雄及び同赤松洋の各証言並びに申請人本人尋問の結果によると、右にいわゆる闘争解決資金は、組合と被申請人との間の争議が昭和三二年二月二六日東京都地方労働委員会の係官の立会の下に協定書を作成することによつて解決されることになつたについて、右協定において、被申請人が組合員に対し総額金三四四、二九七円を同年二月末日までに貸し付け、その返済に関しては同年六月以後改めて協議する旨約定されていたところに基く杉浦某の受領金にあたるものであるが、同人の退職当時前示貸付金の返済については未だ協議が始められてさえいなかつたのに、被申請人が杉浦某に対する退職金よりこれを差し引いたところから、前記闘争解決資金については返済の必要がないことを被申請人において暗黙に承認したものと考えていた組合の見解に従つて、当時その委員長であつた申請人は、被申請人が杉浦某に対してとつた前記措置を不当であるとして、その頃被申請人に抗議を行つたことが認められる。

(3) 昭和三三年一二月中被申請人よりその従業員に対し、休日に出勤できない場合にその理由の届出をするようにとの指令があつたのについて、申請人が休日出勤の強制になるとして抗議し、右命令を撤回させたということのあつたことは(被申請人の争つているところにかかる被申請人において右のごとき届出をさせることによつて休日出勤を強制しようとしたものであるかどうかの点はともかくとして)、当事者間に争いがなく、前示1において判示した事実に徴すれば、申請人は、その頃組合の委員長であつたことが明らかである。

証人荒井文雄及び同赤松洋の各証言並びに申請人本人尋問の結果(但し、後掲採用しない部分を除く。)によれば、叙上以外にも申請人は、組合の委員長在任当時には団体交渉その他の機会をとらえて、労働条件の改善及び労務管理の適正化、例えば災害事故の原因となるおそれのある不完全な施設その他従業員用食堂、浴場及び洗面所等の整備、年少者に対する深夜労働の禁止、時間外労働の際における休憩時間の完全授与、労働者災害補償保険料の完納等に関する要求について被申請人と交渉する外、所轄の労働基準監督署に右のような要求実現のためにする陳情上申をする等の努力を続けたばかりか、委員長の職を退いて一組合員となつてからも、組合の組織拡大及び教宣活動について貢献するところのあつたことが認められ、上掲各疎明中右認定に反するものはすべて採用しない。

右に認定して来たものを除き、申請人主張の組合活動についてはこれを認める疎明がない。即ち、(イ)申請人が昭和三三年一二月末被申請人に当時病気欠勤中であつた組合員大窪某に対する見舞金の支給を要求してこれを実行させたとの主張については、日時の点はしばらく別として被申請人から大窪某に病気見舞金支給の事実のあつたことは被申請人も争わないところであるけれども、その支給が申請人の被申請人に対する要求に基くものであるという証人荒井文雄の証言は、証人赤松洋の証言に照して採用できない。(ロ)この判決の事実摘示欄第二の二中(三)の2の(5)に掲げられている組合活動のうち前示(4)に認定したもの以外については申請人の主張するところに副う証人荒井文雄の証言及び申請人本人尋問の結果は証人赤松洋の証言と対比して採用できない。

3  叙上によれば、申請人は、組合の委員長の職にあつた当時においてはもとより、その職を退き一組合員になつてからも、被申請人より懲戒解雇の意思表示を受ける頃まで組合活動に従事していたことが明らかであるけれども、組合の委員長を退任してから以後における申請人の組合活動はそれほど顕著、活発なものであつたとはみられず、かつ、申請人が被申請人から懲戒解雇の意思表示を受けた当時においては、委員長を最後にいわゆる平組合員となつてからほぼ一年近く経過しているのみならず、証人赤松洋及び同新家弘夫の各証言によれば、被申請人に雇傭されて以来申請人は順調に昇進し、昭和三三年二月頃職制々度がしかれると同時に先任者を差し置いて製品仕上班長に抜擢されたことが認められること、更に先に判示したとおり申請人に被申請人の就業規則所定の懲戒解雇事由に相当する行為の存したことなどを考え合わせるときは、被申請人がかねてより申請人をその組合活動の故に嫌悪していて、たまたま申請人に既述のような新家弘夫に対する暴行傷害行為のあつたのを奇貨とし、ことさら理由を構えて申請人を企業外に放逐することによりその組合活動を封じようとして申請人に対し懲戒解雇の意思表示をしたものとはとうてい解されないのである。申請人本人尋問の結果中、組合の結成当時からの被申請人の組合活動に対する妨害牽制策なるものについて供述する部分、殊に昭和三一年一二月頃被申請人が申請人に対しその身元保証人を通じて格別の理由を示すこともなく自発的に退職するよう要求したとの趣旨の供述及び証人荒井文雄の証言中、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をした本当の理由は申請人の組合活動にあつたのであり、さればこそ、その不当をならしてこれが撤回を要求した組合との間に開催された団体交渉の席上でも、被申請人は申請人の組合活動を強く非難して組合の要求に応じようとしなかつたとの趣旨のものは、証人荒井文雄の右証言のうち後段でのべられている事項についての伝聞にかかる申請人本人尋問の結果と共に、いずれも採用するに足りない。

このようにして被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示が無効であるという申請人の主張は全部排斥を免れない。

三  さすれば本件仮処分申請についてはその被保全権利について疎明がないのみならず、保証を立てさせることによつて本件のような仮処分を命ずることも相当でないと考えるので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 西山俊彦 北川弘治)

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